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旅するキルト・8月編 (35) オープンマイク

 
 ツルをささげた後、再びキルトの輪のところで、「オープンマイク」の話を聞いた。

「オープンマイク」というのは、誰でも、好きなことを話したり、歌ったりしていいマイク。
ヒロシマの原爆ドームの前でもこれをやっていた人たちが、ナガサキにも来てやっていたんです!
「また会ったねぇ〜」と、喜びの握手。
「ヒロシマに来る人は多いけど、ナガサキに来る人はなかなかいない。 両方に来る人はもっと少ない。 だから、両方で会えて、すごく嬉しい」
と言っていただいて・・・なんだか、不思議な感じでした。
私にとっては、ヒロシマとナガサキ、両方行かなきゃ意味がない。 分かちがたいセット。
札幌から行くと、どっちも遠いし。 そして、ヒロシマとナガサキは近い(北海道的にいうと)。
「2番目」ということで影が薄く、忘れられがちだということで、長崎の人たちが傷つくことがあるのだと、初めて知りました。

このマイクの前では、次々にいろんな人が話していましたね。
写真は日本山妙法寺の人です。

雨が激しくなり、木陰に移動してオープンマイクを続けていたところ、ゾロゾロと寄ってきた一団あり。
なんと、「千羽鶴」の祈りのダンスを東京とヒロシマでやって、ナガサキまで来ていた、アメリカのホピ族の人たちでした。 平和祈念式典のあと、爆心地におりてきたらオープンマイクがあったので、喜んで駆けてきた、とのこと。
祈りのためのドラムを叩きながら、ホピの言葉で歌い、次に日本語で「いっしょに、おどりましょう」と歌いかけてきました。
雨の中、みんな濡れながら、手をつないで輪になって踊ったひととき。
「日本で一番やりたかったのが、集まった人たちで輪になって踊ること。東京でもヒロシマでもできなかった。ここで初めてできた。うれしい」
と、彼らはニコニコ。 私たちもニコニコ。
「アメリカ横断」の時には、諸般の事情で断念した「ウラン採掘地」の訪問。
旅の終わりのナガサキで、まさにそこから来た人たちに会い、一つの輪になることができたなんて・・・。 「千羽鶴ツアー」のことを知っていながら、日程的にあわず、東京もヒロシマも行けなかったので、この出会いは本当に嬉しかったです。 とても偶然とは思えませんでした。

その後、私にもマイクが回ってきたので、このキルトたちの旅のことを簡単に話しました。
「旅の始まりは、3月20日、イラク戦争開戦の日のこの場所でした。
今日、8月9日、ここで旅が終わります。
3月20日は、雨が降り、虹が出ました。
そして、ナガサキは今日も雨でした〜」
聞いていた人たち、みんな、わはは〜と笑いながら拍手してくれました(笑)。

マイクの主催者の青年が、別れ際に一言。
「きっと、旅の始まりと終わりを祝福するために雨が降ったんだよ。 命の恵みの雨だよね」
・・・しみじみと温かい一言でした。
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旅するキルト・8月編 (34) こどもたちのツル

 
 黙祷が終わった途端、早速ポツポツときはじめた。

集まっていた人たちが一斉に帰り始める。
通り過ぎざま、キルトをしげしげと見つめてゆく人、人、人・・・。
やっぱり目立つんだろうなぁ。

3月にお世話になった方や、日本山妙法寺のお上人様たちに挨拶したあと、爆心地の碑にツルを捧げた。
職場の子ども達がおやつの飴の包み紙を取っておいて、作ったツル。
今回は54羽あった。
他のツルのように紙も揃っていないし、折り方も不器用。
それが、とても愛しい。 めんこい。
子ども達なりの行動を、日常の中でしてくれたことが嬉しい。

かつて、ヒロシマのサダコも、薬やお見舞いの包み紙を切って、千羽鶴を折った。
大人が「行事」として用意して、形の決められた通りに子どもがこなすのではなく、日常のささやかな時間とやり取りの中で、子ども達自身が発想して、行動の形を作り出していってほしい。
捨てるほどのものにも、手をかけ、心をこめれば、美しい祈りの形が作り出せるのだということを、知っている人になってほしい。
そう思って、あえて子ども達全体への「よびかけ」はしなかった。
それでも、集まってきてくれた、飴の包み紙のツルたち。

ささやかな「日常」をどれだけ大切にできるか、丁寧に生きられるか、それが大切なのだと思う。
平和への道はない。 平和が道なのだから。
子ども達が作ったいびつなツルの群れが、何よりも平和の姿をしていると、私は思う。
(・・・親ばか、ですけど・・・)
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旅するキルト・8月編 (33) キルトの輪

 
 大急ぎでキルトを並べて円を作る。
その中に、ずっと一緒に旅をしてきた木彫りの母子像や鈴を並べ、祈りの場を作った。

正座した途端、「黙祷」の声。
11:02。
公園に集まっている沢山の人たちがシーンとなった。

2010年3月20日11:02から2010年8月9日11:02まで。
黙祷で始まった旅は、黙祷で終わった。
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旅するキルト・8月編 (32) ナガサキへ

 
 8月9日(月) 今にも降り出しそうな朝。 南から台風が近づいてきている・・・。

JRで浦上駅まで。
駅からまっすぐ20分くらい歩くと、「爆心地公園」に着く。
正式名称「原爆落下中心地公園」。 松山町にあるので、地元の人たちは「松山公園」と呼ぶらしい。
浦上の丘の上にある、いわゆる「平和公園」よりもずっと小さい、目立たない公園。
けれど、「原爆落下中心地碑」や浦上天主堂の遺構、原爆当時の地層などがあり、とても重要な場所だ。

グランドゼロにたつ碑は、5メートルほどの黒い御影石の柱で、周りの地面には同心円状に白い線が引かれて、「爆心」を表している。
思えば、今年の3月20日、ここから「キルトたちの旅」は始まったのだった。

ナガサキ〜ヒロシマ〜アメリカ〜ヒロシマ〜ナガサキ。
「ヒバクの地」を巡る旅が一巡して、ここで円を閉じる。

駅からはそれほど遠くないはずなのに、キルトの袋を背負っているのと、連日の疲れとで、たっぷり20分はかかってしまった。
公園内に入ったのは、10:55。 
ぎりぎりセーフの「ナガサキ」入りでした・・・。
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旅するキルト・8月編 (31) 「ひっきゃ」ってなんだ?

 
 夕方、山を下りて鹿島市内の商店街へ。

「鹿島踊り 踊りこみ 子どもの部」に参加。
これは、つまり盆踊りなんですかね・・・? 鹿島の地元の名物を読み込んだ歌にあわせて、行列になって踊り歩きます。 手つきはまるで「阿波踊り」みたいでした。
ステージで歌っているのは地元の小学生。 生歌と生太鼓の踊り。
かつてはどこの集落でも見かけたであろう、夏の風景が、鹿島には残っていました。

盛んに「ひっきゃ」という言葉がかわされているので「何?」ときいたところ、「みんなで」という意味の鹿島弁だそうです。 商店街で出している幟にも「ひっきゃ 鹿島踊り」の文字。

イラクにも、人が集まると踊る「チョビ」というダンスがあります。 ひもを手で振り回してリズムをとる、盆踊りみたいな「みんなの踊り」。 これの話をすると、イラク人、すっごく喜ぶんです。
「お〜、お前はチョビを知ってるのか〜」って。 で、踊りだす(笑)。
私は18歳で育った町を離れたんですが、今でも、地元の盆踊り歌を歌えますものね。
毎年きいて、体に染み付いた音楽や踊りやお国言葉は、人の心の土台を作ってゆくのでしょう。

この踊りの列で目を引いたのが、車で引く七夕飾り。
この辺りは、旧暦で七夕をするそうです。
西暦の7月7日でも、8月7日でもなく、旧暦で七夕を祝う所は初めてでした。

この夜、空には満天の星と大きな大きな天の川。
「8月9日」の前夜は、とても静かで美しく・・・65年前もそうだったのだろうか、と胸に迫るもののある星空でした。
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旅するキルト・8月編 (30)キルト・ブース

 
 3月に行った時に会った人たちもいて、あっという間に木陰に「キルト・ブース」を作ってくれました。

私はそこで、冷たいハーブティー飲みつつ、冷えた胡瓜をかじって、風に吹かれて・・・。
で、刺繍してました。

アメリカや広島やイラクの話も、みなさん、もちろん聞いてくださったのですが、なんといっても、そこはアーチスト。 このキルトが全て手縫いだということ、集団作業だということ、子どもの絵の再現を目指しているということ・・・などの方に、より関心がある様子。
そして、子ども本人に渡せなかった場合は、募金にかえるという話をすると、
「本体は手放しちゃダメ! 写真を撮って絵葉書を売るとか、美術館に「展示」として売り込むとか・・・。 とにかく、個人が所有するべきものじゃない。 たくさんの人に見てもらうのよ。 絶対、安売りしちゃあ、ダメよ!」
と口々に主張。 ふ〜ん、そういう考え方もあるのかぁ。
そういえば、ニューヨークで「エキシビジョンとして買いたい」と言ってきた人が一人いましたっけ。
どっかの国からきたアーチストだと、名刺をいただきました。どこにしまったかな?
人に会うと、知らない世界の、違う考え方に出会えるものですね。

この日、楽しかったのは、木陰から見たジャンベ(アフリカの太鼓)の演奏。
「ホロヤカン」というチームで、会員が全部集まると50〜60人くらいになるとか。
この日は12人での演奏とアフリカン・ダンスを披露。 ダイナミック!
「ホロヤカン」とは「自由の音」という意味だそうです。
被爆地・ナガサキを拠点に活動する教え子たちのために、アフリカ人のジャンベのお師匠さんがつけてくれた名前を、彼らはとっても大事にしています。

平和を願う心は、アフリカでも日本でも同じです。
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旅するキルト・8月編 (29)眉山キャンプイン

 
 8月8日(日)は快晴。 も〜、朝から暑いのなんの・・・。
九州で泊めていただいたのは、佐賀県鹿島市の山の中で半農&半カフェをしている友人宅。
山の中なので、夜は涼しかったですよ。 広島市内の熱帯夜に閉口した後なので、実に快適でした。

で、明けて8日は、鹿島の山の中から武雄の山の中に移動。

鹿島は佐賀県の南の方で、武雄は北の方。
「武雄温泉」というのが有名らしいです。
(タケオって、どっかで聞いたなぁ・・・と思っていたら、かつてカンボジア支援と称して自衛隊が駐屯した町の名前でした。確か、同じ名前の町だということで、ニュースになったんですよ。当時、友人がNGOの仕事でカンボジアに行ってたので、よく覚えています)

武雄市内にある「眉山(まゆやま)」のてっぺんにあるキャンプ場で、泊りがけのイベントをしている人たちに合流。 午後の時間を共有しました。

「てっぺん」って、どのくらいてっぺんかというと、本当にてっぺん、なんです。
グネグネの道を延々のぼりつづけて、着いたら、もう下には緑しか見えない。
人家も川も見えず、ひたすら緑とその上の青い空。
ここで一晩過ごした人たちは、気持ちよかったでしょうね。
アート系の人たちの集まりだったので、のんびり、ゆるゆると互いの作品を見たり、買ったりして過ごしました。
そもそもは、8月9日を前に「スローな平和な時間を共有しよう」という企画らしいです。
若さと体力があったら泊まったんですけどね〜(笑)。
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旅するキルト・8月編 (28)ふもちと虹のかけら

 次の特急を待つ間、こんなこともあろうかと買っておいたおやつをパクリ。

「ふもち」というんだそうです。
麩のグルテンに餅粉と青のりをまぜて緑色の餅にし、餡を包んだ冷たいお餅。
笹でくるんであります。
広島名物なんでしょうか? バスセンターで買ったんです。
麩って、北海道ではあんまり食べないですね。せいぜい、お吸い物の実。
なので、珍しくて買いました。味は、普通のお餅の味でした。

じきに来た特急も満席。
なんとか座れたのですが、すでにぐったり。
窓の外のそらは、なんだかシマシマ・・・「あぁ、あそこだけ雨が降ってるな」とわかるくらい、九州は平らで見通しがよかったです。
佐賀市の辺りで雨の中に突入。土砂降り。
そして、そこから脱出。

振り返ると、佐賀の空に小さな虹が出ていました。
虹のかけら、のような虹。
「サブリーンがついて来てるな」
と・・・。
駅に迎えに来てくれたよーちさんに虹のことを話すと「え〜、また出たの?!」。
前回、3月に来たときにも大きな虹に恵まれまして・・・九州で私は「雨女」ならぬ「虹女」と呼ばれているとか、いないとか?
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旅するキルト・8月編 (27)ちょっと、ごちそう。

 お弁当も買って、いざ乗車。

夏バテ気味なので、栄養つけよう! と、ちょっと奮発。

見てください、この名前。
「究極の盛り合わせ」。 すごいな〜、いいな〜、この「これでもか!」という、おばちゃんぽさ。

で、中身は、焼き鯖の押し寿司とのり巻。
押し寿司が焼き鯖、というところが本州ですね。北海道では、まず見ない。(最近は、スーパーにたまにあるかも?) うちらは「〆鯖のバッテラ」が定番。
のり巻は、いわゆる「田舎巻き」。ごぼうとか、高野豆腐が入っているんですが、それの超豪華版。
アナゴ、鮭、カニかまが入っています。いろんな野菜も含めると、具は10種類以上。
一日分の栄養を摂った感じの「豪華なお昼」でした。

すでにお盆の渋滞が始まっていて、バスは迂回路を通ったので、予定より1時間近く遅れました。
5時間のバスの旅。
で、着いた博多駅も帰省客でごった返していて・・・すご〜い。
日本の「民族大移動」の時期ですからね。
ついでに博多駅そのものが工事中で、見通しがきかず、おまけに大荷物。
エレベーターをちゃっちゃと見つけて最短ルートでホームに着いたのですが、それでも予定の特急にはタッチの差で乗れませんでした(目の前でドアがプシュー・・・と。ほんとに。)

しようがないので、30分後の次の特急の自由席でゆくことに。
まぁ、人生こんなもんです。
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旅するキルト・8月編 (26)いざ、九州へ。

 8月7日(土) 朝、バスセンターへ。 すでに気温は31度。 ・・・うそでしょ・・・。

高速バスで博多まで行って、そこからJRに乗り換えて「肥前鹿島」まで。
「ヤゴタ通信」でお世話になっている、佐賀の農家さんにお泊りです。
けっこう一日がかりの移動。

敢えて新幹線にしなかったんですが。
高速バスだと新幹線の半額(これ重要)だし。
新幹線の、あの、Gがかかり続ける感じが、飛行機並みで体につらいし。
何より、好きなんですね、この「雑多な庶民で一緒に行く」感じが。
アメリカでも、交通手段が安くなるほど、生活感があって面白かったです。
ヒロシマの路面電車、よかった〜。

そして、いつも思うんですが、ヒロシマのバスセンターの売店コーナー。
ちょっと朝市っぽくて、好きなんです。
おばちゃんと話しながら買い物。

珍しい野菜を発見。
右は「白茄子」。 アメリカの茄子は、本当に真っ白で見るからに「egg plant」って感じでしたが、広島のは「青茄子じゃん」て感じですね。
左は「青大きゅうり」。 皮むいて、種とって、炒めたり、酢の物にしていただくそうです。

佐賀で、早速夕食に出してくれましたが、味は普通の茄子と胡瓜でした。
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