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10/16 サブリーン・デイ

 10月16日(土)。
サブリーン・ハフェドの命日。 あれから、一年。

まだ一年。 やっと一年。 そんな一年間だった。

日本時間では10月17日、訃報が届いたとき、泣いている暇は、なかった。
サブリーンのキルトに関わってくれている人たちに連絡し、その日の午後の「キルト・カフェ」でも参加者の皆さんに伝えた。 翌日から函館で始まった「キルト展」でも、展示内容の中心に「サブリーンの追悼」を置いて、知っている限りの「サブリーンの物語」を伝えた。
私の役目は「伝達者」。 感情に任せて、泣いている暇は、なかった。
私でなければ、伝えられないことが、たくさんあった。

10月24日の「キャンドルナイト for イラク」。 その日は、日本でいうところの「初七日」だった。
函館のミュージシャン「りぼん」さんが、その日のために作ってきてくれた歌「キャンドルナイト」を聞いて、はじめて、おなかの底から、泣いた。 それは、キルトとサブリーンの歌だった。
「サブリーン、絶対に連れてゆくよ、ニューヨークまで」
この時、本気で決心した。 何一つあてのない、アメリカ。 それでも、決心していた。

あれからの一年間、私は、「1000peace」は、何をしてきたのだろう・・・と思う。

今日は、イベントとしてではなく、それぞれの日常の中で、サブリーンのためにロウソクをつけて祈ってほしい、とお願いしていた。 すぐに、アメリカと広島から返信があった。 札幌の何人かからも。
大げさに呼びかけなくとも、「サブリーン・デイ」は「同時多発キャンドルナイト」になった。

ロウソクの明かりのように、吹けば消えてしまいそうな、人の命。 つましい暮らし。
それらを集めて大きなかがり火にするのではなく、それぞれの暮らす場所で、その小さな明かりを消さないように守り、遠くに居る互いに向かって「お〜い」と呼びかけあう・・・そんなふうに人をつなぎ、関係を紡いできた一年だったと思う。
サブリーンをはじめとする「イラクの子ども達の絵のキルト」は、いま、オーストラリアを除く4大陸に散らばっている。
その小さな星をつないだら、どんな形の星座になるのかな・・・。
そんなことを思いながら、サブリーンのための歌を、この先の一年も歌ってゆこう。
去年の12月2日、東京での「お別れ会」で見た、サブリーンが使っていた小さなペン。
そのぺんをテーマにした「左手の約束」を。

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キャンドルナイト for アスラール

 
 7月15日(木) 夜。
「ぽのぽの食堂」で、ささやかにキャンドルナイトをしました。
今日は、アスラール・ジバールの命日です。
バスラの病院の院内学級で、たくさんの絵と詩を残したアスラール。
アスラールが書いた詩は、「青い空と白い鳩」という歌になって、東京のチャリティ・ライブで歌われています。
アスラールが亡くなった頃、2008年の春から夏にかけて、バスラは急激に治安が悪化して、病院に来ることが出来ず、治療が中断する子供がたくさんいました。
病院には水がない状態が続き、JIM−NETでは緊急支援として、水と食料を病院に運びました。
私も「旅するポスター展」を通して募金を集め、緊急支援に送りました。
たった2年前のことです。

その「ポスター展」がご縁で出会った八百屋「あすらん」の有塚さん夫婦と一緒に、アスラールの話をしながらご飯を食べた「キャンドルナイト」。
私が知っている限りのアスラールのこと、歌のことや、クルナ村のことなどを伝えたかったのです。

「この日付なら、自分たちは絶対忘れないから」と、8月6日に「あすらん」を開店した有塚さん。
きっと、今までと変わらず、これからも「アスラール」を大切に想ってくださるでしょう。
おじさん、おばさん、たくさんの「アスラールの思い出話」を聞いてくれて、ありがとう。
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沖縄慰霊の日

 6月23日(水)
沖縄慰霊の日。 ラジオで沖縄からの生中継を聞く(うちにはテレビがないので)。
献花の間、「サトウキビ畑」の曲がかかっていた。
首相挨拶の間、ずっと、「帰れー! 帰れー!」という怒声が響いていた。

オキナワからイラクに海兵隊が行ったことを、忘れてはいけない。
自分の国が「イラク戦争」を真っ先に支持したことを、忘れてはいけない。
そこを忘れて、「病気の子供を励ますためにキルトを縫ってます」と言っていたんでは、ただの善人ごっこだ。
あの戦争を、私は止められなかった。
沖縄の友達が「基地」と共に暮らさなくてはならない状況を、私は変えられなかった。
「アメリカ横断」の旅で、共に過ごした「沖縄」の友人たちの顔が浮かぶ。

去年の6・23は、夏至で、満月で、「沖縄慰霊の日」で、大倉きよさんの1周忌だった。
だから、その日に、私は「平和の火」のキャンドルナイトを企画して、生まれて初めて人前で自作の紙芝居を演じた。 亡くなったイラクの少女の人生を伝える紙芝居を。

今年はその紙芝居を、アメリカで、英語で演じてきた。
拙い英語を、一生懸命聞いてくれた人達の顔が浮かぶ・・・。

一つだけロウソクをつけて、一人で「キャンドルナイト」をした。
6月23日、沖縄慰霊の日。
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「平和の火」と過ごす

 
 6月21日の「らる畑」の「キャンドルナイト」会場に届いたお花。
夏の庭から摘んだ花。
「行けないけど・・・気にかけています」
というメッセージのお花。

こういう気遣いって、いいな、と思うんです。

「平和の火」を消さないように、遠くから運んでくる気遣い。
「平和の火」を消さないように、日々ケアをして保つ気遣い。
現代の都会の生活で、火を保ち続けるのが、どれだけ大変か(3週間も!)。
運び屋のよっしー君も、今年の「ピース・ステーション」になってくれた「ぽのぽの食堂」さんも、本当におつかれさまでした。 そして、ありがとう!!
「火」はもちろんのこと、周りの人に対する気遣いがあるからこそ、今年の「平和の火」は無事に過ごせたのだと思います。

いつも同じ人が受け入れを頑張るのじゃなく、できれば毎年新しい人が挑戦して、「火と過ごす」経験をした人が増えてゆくといいね。
一晩だけでもいいから。
それは、小さな子猫の命の火を保つような気遣いだから、暮らしの根っこの所で、いい経験だよね。

遠くにいて会えないイラクの子供たちにキルトを作るのも、「平和の火」と同じような経験だと、私は思っています。

最後に、会場には行けず、記事を書けませんでしたが、この間「平和の火」に取り組んでくれた所です。
6/20(日) 「命どぅ宝」 @ 「あじと供礎狼紊里燭瓩砲任ること〜」 (札幌市中央区)
6/21(月) 「アースBAR of 平和の火」 @ 「ぽのぽの食堂」 (札幌市北区)
6/23(水) 「お神楽VJキャンドルナイト」 @ 「みんたる」 (札幌市北区)
7 /2(金) 「キャンドルナイト in 小春日和」 @ 「むげん空間・小春日和」 (函館市)

「行けなかったけど・・・気にかけてました。 ありがとう。」
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「火を消す」ということ

 
 これは、大型冷蔵庫にはりつけたキルト。
冷え冷えで、気持ちよかっただろうな〜。

「らる畑」に集まったのは、普段から「核」について考え、意識して暮らしている人たち。
だからこそ、みんなで最後に「平和の火」を消す時、こういう締めくくりになったのだと思います。

「キャンドルナイトのあと、必ず、その場所ごとに火を消す。
そのことに意味があると思う。
平和の火、と呼んでいても、これは原爆でたくさんの命を奪った火。
その火を、それぞれの場所で消すことで、一人一人がこの火、核の火の消し手になる。
そういうことが大切なんだと思う」

言葉でまとめると、こういうことですが、言葉にならなくとも、体験を重ねてゆくことで、何か自分の中に残ってゆくものってあると思う。
特に若いうちは、無理に言葉に整理しなくていい、と思います。
(考えたり、努力したりすることに意味はあると思うけど)
来年も若者たちの手で、この火が運ばれてくることに期待しよう・・・。
そう思いながら消した、「らる畑」での「平和の火」でした。
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キルト@らる畑

 
 6月21日(夜)の「らる畑」です。

食品棚にくっつけたり、冷蔵庫にはりつけたり・・・。
野菜を置いてある台は、野菜を片付けて「テーブル」になりました。

集まったのは、お店のスタッフも入れて10人ほど。
普段から、「キルトの旅」を応援してくれている方々が来てくれました。
「ちょ〜アナログなパワーポイント」と称して、「紙芝居」を使って旅の話。
なんせ1ヶ月の旅だったので、概略を話すだけで結構時間いっぱい。
テーマをしぼって、何回かに分けて話し方がいいかもしれません。

札幌での「報告会」は、これが初めて。
・・・緊張しました・・・
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夏至のキャンドルナイト

 
 6月21日(月) 夏至。
この日も、札幌のあちこちで「キャンドルナイト」イベントがありました。
ここ何年か行われている「100万人のキャンドルナイト」の一環で、札幌市も絡んでの一大イベントです。 テレビ塔など、主な観光地の「ライトアップ」も、20:00〜22:00の2時間消されます。

札幌は190万人くらいなので、半分の人が参加したら、本当に「100万人」だな〜。

で、私は仕事の後(平日なので勤めがあるんです)、円山に直行。
今日は有機野菜の八百屋さん「らる畑」で「キャンドルナイト」です。

題して・・・
「星野村からNYへ 〜ヒバクの地をたずねる旅〜」
キルトたちの「アメリカ横断」を中心に、「ヒバク」をテーマにした旅の話をします。
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夜の「Raw Life Cafe」

 
 「あすらん」での「消灯」を見届けて、一息つきに「Raw Life Cafe」へ。
オリーブの木の横には、ランプの明かりがともっていました。

長い長い一日。
おつかれさまでした。
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「あすらん」とアスラール

 
 「あすらん」の前で、「平和の火」に照らされているアスラール。

この日の「キャンドルナイト・ツアー」に、このキルトを持ち歩いた理由のひとつは、「あすらん」に来るからでした。

2008年春、イラク南部の都市バスラでは、急激に治安が悪化。
戦闘の影響でガンの子供たちは病院にこられなくなり、治療が中断した子供たちがたくさんいました。
病院でも、薬はおろか、食料も水もない状態が続きました。
当時、「旅するポスター展」という企画をやっていた私は、新聞社を通じてバスラの状況を伝え、「緊急支援募金」のために「お店にポスターと募金箱を置いてください」と訴えました。
それに応えてくれたお店のひとつが、この「あすらん」さんでした。
2枚残っていたポスターのうち、「名前が似ていて、親しみが持てるから」と、アスラールを選んだ有塚さん夫妻。
その年の夏、アスラールが白血病で亡くなった時、私は「あすらん」に挨拶にゆきました。
一緒に悲しんでくれた、有塚のおじさん、おばさん。
以来、ずっと「アスラール」のことを想ってくれています。

私にとって、このキルトはアスラールの「遺影」です。
そして、初めて「イラクの子供の絵のキルト」として作ったのが、このキルトです。
大事な旅には、いつも連れて行く「私のアスラール」なのです。

アスラールのことを、今でも大切に想っている人たちがいるよ、と、アスラールのママに伝えられたら・・・と、いつも思っています。
いつか、ママにこのキルトを渡したいです。
その日まで、私とアスラールの旅は続きます。
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「ライオン」つながり

 
 八百屋「あすらん」の店内には、野菜だけではなく、絵本の貸し出しコーナーもあります。

そして、何匹かのライオンもいます。

「ナルニア国物語」から店の名前をつけた「あすらん」。
チグリス・ユーフラテスの大河にはさまれ、「二つの河のライオン」を呼ばれる国・イラク。

「ライオンつながり」ですね。
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