4月21日(木) たんぽぽが咲いていました。
丁度1年前の今日も、たんぽぽを見つけて写真を撮りました。
アメリカのど真ん中、ニューメキシコ州のロスアラモスという町で。
そこは世界中から科学者が集められて、1945年の7月に「原子爆弾」が「開発」された町です。
1年前の今日、その町で私が見たものは、自分の故郷と何も変わらない「日常」でした。
子ども達がサッカーをしていて、お年寄りがイヌの散歩をしていて、空にはトリが舞い、地には花が咲く・・・たんぽぽは、どこに咲いていても、たんぽぽ色でした。
「日々、新たな発見がされる わが町 ロスアラモス」
沢山の旗が道路わきに立っていて、こんな砂漠の中の小さな町に「国立研究所」があるってことが、嬉しいんだ、自慢なんだよ・・・そういう空気に溢れていました。
私の故郷も小さな町ですが、国立大学があり、それは町の人間の誇りです。
あぁ、原爆は角の映えた鬼のような人間が作ったのではなかった・・・。
頭では十分すぎるほどわかっていたことが、目の前に現れたあの日、私は途方に暮れました。
夜、地平線まで続く星空の下で一人になったとき、自分はなんてちっぽけなんだろう・・・と。
何が善で、何が悪か・・・そんなことではなく、人が人としての営みの果てに作り出した「原子力=核」というものに向き合ってゆく、その心の準備も知恵も知識も技術も、なにもかもが準備の出来ないうちに、人間はそれを手にして、使ってしまった。
「核分裂」自体は、他の町で実験され、「原子炉」が作られましたが、それを「実用化」する、つまり「具体的に使う=原子爆弾をつくる」ことの始まりとなったのは、そこ、ロスアラモスでした。
「始まりの地」まで旅をして、私は、途方に暮れてしまったのです。
ドウシヨウ・・・コノヒトタチヲ、ニクメナイ・・・ニンゲンヲ、キライニナレナイ・・・オロカモノト、ワラエナイ・・・ドウシヨウ・・・。 ワタシモオナジ、ニンゲンダ。
それで、帰国後、「核物理」に関わった人たちの手記と、原爆や原発事故など「核の被害にあった人たち」の手記と、両方を、同時進行で、集中して読み漁ったのです。
会える方には、お会いしてお話を伺いました。
誰が加害者で、誰が被害者か、という角度からではなく、全てひっくるめた「人間の営みのありよう」を私は知りたかった・・・歴史の中の「人の心の軌跡」・・・今もそれを知りたいです。
果てしない探求の最中、「原発震災」について警告する本を読んだ直後に、今回の震災が起きました。 とんでもなく、どんぴしゃりなタイミングでした。
この時のために、私の長い長い旅は用意されていたのかもしれない、とさえ思いました。
ロスアラモスを訪ねてから、1年。
今は、途方に暮れることなく、ひたすら前に進んでいます。
たとえニンゲンと言う種族が滅びても、地球の生命は滅びない、と確信しているからです。
ニンゲンは、自分が作り出した毒で、いずれ滅びるかもしれない。
でも、「生命」は、この星のどこかで続いてゆくでしょう。
たんぽぽと一緒に風に揺れながら、「それで十分」と笑う私になりました。