9月3日(金) バグダッドのアヤ・ハイサムの訃報が届いた。
イラク時間では、9月2日。 急だった。
私には、気持ちの準備など、できてはいなかった。
夜、やっとの思いでキルトの関係者に連絡した。 抑えても抑えても、涙が流れた。
その日は、アヤに似た淡いピンクのトルコキキョウを飾ってすごした。
アヤ・ハイサムは、バグダッド在住の女の子で9歳。
はじめ、神経芽腫との診断で治療していた。 ところが、全然よくならない。 父親はアヤを隣国ヨルダンの病院へ連れて行った。 すると、誤診で、本当はウィルムス腫瘍という腎臓のガンだった。
早期発見、早期治療ができれば、助かるタイプのガンだ。 望みは、ある。
「がんばれ、アヤ!」 「遠くからだけど、応援してるよ!」
そんな思いと祈りを込めて、チョコ募金に使われたアヤの絵をキルトにした。 縫ったのは、函館の近くにある小さな町、厚沢部町と江差町のお母さんたち。 小さな女の子が喜びそうな、かわいい絵を周りにいっぱい刺繍してくれたキルト。
作っていた頃、アヤは腎臓摘出の手術に耐えていた。
「仕上げは、帰国してから。 丁寧に仕上げたいからね」
ということで、キルト・トップの段階で預かって、旅に出たのは4月9日。 目指すはニューヨーク!
NPTのために国連に集まってくる人たちに、イラクのガンの子どもたちの身代わりとして、子ども達の絵のキルトを見てもらうための旅だった。 約1ヶ月かけてアメリカを横断。 途中、徒歩でマンハッタンを目指していた間も、担いで歩いた20枚のキルトの中に、このキルトは入っていた。
132kmの道のりを歩いて到着したマンハッタン!
着いたとたんに、JIM−NETの佐藤事務局長に再会。 会ってすぐ言われたのが「アヤのキルト、どうなった?」。 「ありますよ。 作りかけだけど」 「ニューヨークのあと、ヨルダンに行く。 アヤが来てるから渡せると思う。 明後日までに仕上げて」 ・・・・って、あのねぇ・・・(絶句)。
半ばあきれつつ、でもまぁ今に始まったことではないので、縫いました、夜通しかけて。
そうして、5月3日には事務局長に手渡され、そのままヨルダンへ飛んで、治療に来ていたアヤ本人に届いたのが、この写真のキルト! 何度も撫でるようにさわっていたというアヤ。
「本当に届いたんだね。 すごいね。 世界って、近いんだね」
と、作ったお母さんたちも大喜び。
その後もアヤの治療は続き、夏には、バグダッドからアルビルまで来て、絵画ワークショップに参加できるくらいの体力があったアヤ。
「次のチョコにも、アヤの絵を使うかも」 と聞いて、次のキルトの計画を立てていた、7月。
「アヤちゃんは何色が好きかなぁ・・・」 なんて言いながら。
・・・だから、まさかの訃報だった。
8月に「容態が悪い」と聞いた時も、「今度もきっと乗り切れる。 乗り切って。 がんばって、アヤ」
と、毎日祈っていた。
まさか・・・まさか、白血病を併発したなんて。 それも、骨髄性だなんて。
入院してから亡くなるまで、あっというまだった。
せめて、最期の3日間を家族のもとで過ごせて、よかったと思う。
アヤのように、全然ちがうタイプのガンが、1人の子どもに多発することは、本来はめったにない。
でも、今のイラクでは、そういうことがたくさん起きている。 お医者さんたちも「こんなのは、聞いたことも見たこともない。どうしたらいいんだ?」 というような状況。
こんなのは、おかしい。 こんなこと、もういやだ。
アヤのことを考えると、まだ、いくらでも泣ける。 泣きながらでも、伝えてゆかなくては・・・。
「今のイラクの状況は、確かに、変だ。 子ども達の命を奪っていっているのは、何なんだ?」 と。