私は、ディヤールをはじめ、「イラクのガンの子ども達」には、一人も会ったことがありません。
イラクにも、ヨルダンにも行ったことがないのですから、当たり前といえば、当たり前です。
それでも、間に人を介した形であっても、その子たちの闘病の過程に心を寄せ、死に涙し、関わりの深かった子どもの命日にはロウソクを点してきました。
私は子どもの頃、小児ガンだった従弟と共に育ったので、イラクの子ども達のことがとても近くに感じられるのです。
体や心の変化だけじゃない。 家族がどんな様子かも・・・あまりにもリアルに感じてしまう。
心情的に「他人事」にできないのです。
そんな「子ども達」の死がつらくて・・・自分自身の心をケアするために、亡くなった子ども達が遺した絵を刺繍して、キルトにし、子ども達の物語を語ってきました。
去年は、そのキルトを持って、アメリカまで行きました。
アメリカで出会った尼さんの一人が、私にこんなことを言いました。
「あんまり思いが強くて、抱えていると、仏さんが成仏できませんよ」
その後も、何人かの子どもの死に(間接的に)接してきましたし、やっぱりその度に、とても辛かった。
でも、去年の10月に「サブリーンの1周忌」が終わった頃から、何か、ふっと、ふっきれたように思うのです。
これからも、亡くなっていった子ども達のことを伝え、劣化ウラン弾によるヒバクシャをなくしてゆきたい、という気持ちに変わりはありませんが、無理に人に聞いてもらわなくてもよくなったというのか・・・
丁度、祖母の仏壇にお線香を上げるときのような感じですね。
毎朝、そうするのが当たり前。
思い出を語ることも、花を飾ることも、「日常」のことになったのです。
あの子達は、いつも共にある、と感じています。
ディヤールの絵のキルトは、いつかディヤールのママに手渡せたらいいな・・・今でも、そう思います。 いつか、機会があって、巡り会えたら・・・。
広い広いアメリカのどこに移住したのか、今は誰にもわからないのです。
もう、あまり人前で語ることはないと思うので、「記録」として、ディヤールの紙芝居と歌をこのブログにアップしておきます。